2010年9月3日金曜日

作品=人間=作品

昨日より日本橋高島屋で「美の予感2010」展がはじまりました。
今回はそれぞれの作者が初顔あわせのようなもので、出会いを楽しみに
していたところがありました。個々の作品は以前から目にしていても、
その作者に会って作品を見ればまた作品に深さが増すのだと思っています。
また十年以上前に出会って、今回久しぶりに再会して、お互いどこかで意識が働いて
いたことを喜び、それぞれの軌道を走っていて交わる地点であった今を感謝し、
またこの先の軌道に走っていける力をいただけた感じです。

初日には高島屋さんの計らいで、懇親会を催していただきました。
こういう場に参加させていただけることをほんとに感謝します。

ただ今回はなんとも、僕のなかで消化しきれないこともあり、
こころの中に澱のようにこびりついたことが非常に残念でもあります。

作品は人間が作り出すもので、その人間性が作品に現れてくるものと思います。
それぞれはイコールで結ばれていて、そのバランスがカタチとなり見る者に伝わる
のだと思います。

あまりにもその感覚がズレていて勘違いも甚だしい人間にはひどく拒否反応を覚えます。
どんな世界でも世代間のギャップはあるにせよ、あまりにも稚拙な言動には許し難いです。
やきものという工芸美術の世界にあって、どこに向いて作品をつくり発表をしていくか、
作る人間、それを紹介する媒体があり、使い手があります。それぞれに責任をもって
成り立っている社会ですが、自分のなかにだけ存在している世界はあまりにも狭すぎて
その自分を見ている第三者的視観の自分がいないのに気づかないのは非常にだらしがない。
それが今陶芸界で評価されている人間なら、なおさら残念でしかたがない。

今は昔とはちがう、それは当たり前であり、現在という時間が流れていて、それはすべて
過去となり、蓄積されていく。
そのなかで、やきものとしてのカタチを遺していき、且つ大切にされるのは
人間性=作品だと僕は思うのだが、どうだろう。